英语だけは好きだった中高时代
埼玉県の熊谷というところで、なんと25才まで引越しを経験せずに育ったんです。小中高と地元の公立校に通い、中学2年のときにあるプログラムでアメリカの西海岸に2週间ほどホームステイしたんですが、それが楽しくて楽しくて。初めて见る景色や人、食べ物、そして言叶…。“またいつか絶対に行くぞ”。そんな思いがあったからか、それから英语だけはずっと勉强を欠かさなかったですね。大学で国际関係学部を选んだのも、その経験が元になっていると思います。
2つの修士号を取ったのは…
大学を卒业していったんは就职したものの、2?3年するとやはり开発の仕事がしたいという思いが自分の中で强くなって、思い切って仕事を辞め、大学院に留学しました。私の场合スタートが遅かったということもあり、“国际関係の授业があって缔切が间に合うところ”という条件で绞っていくとそんなに数がなくて、なかでもプログラムが面白そうだったワシントン顿颁のアメリカン大学に行くことに决めたんです。
もともと兴味があったのは国际関係や开発で、経済にはまったく兴味がなかったんですが、やはり开発を勉强していると経済を避けては通れない。ならばと真剣に取り组んでみたら、面白かったんです。どうせやるなら修士号もと、结局国际开発学と経済学の2つの修士号を取得しました。
现场経験はお金を払ってでも手に入れるべし!
皆さんそうだと思うんですけど、雇ってもらえる确率を上げるために、お金を払ってでも欲しいのが「経験」。大学院时代、ユニセフでインターンをしたときは全くの无给で、しかも勤务地がニューヨーク。知り合いの知り合いに頼み込んで、ただで泊めてもらって働いていました(笑)。ほかの机関でもいくつかインターンを経験しましたね。
そうこうしているうちに国连の闯笔翱プログラムに合格したんです。アジアかアフリカに行きたいという希望を出したら、マラウイでどうかという打诊が来て。「えーと、どこにあるんだっけ」と地図を见直したりしましたけど、まあ行ってみるか、というこ